2004年10月17日 |
etc... |
母です。
* BBSの書き込みをしていたら、
なぜだか、母のこと思い出してしまったわ。
(映画「八墓村」のことを、書いたんだけど、、、)
そういや、原作は、横溝正史だったなあって、思い、
最初は、なんも、思わなかったのだけど、
待てよ、私の母が、横溝正史の近い親戚に生け花を教えていたなと。
まったく、そんなことも、生け花も興味のなかった私。
(それでも、私、師範の免状持ってますぜ。でも、それがどうした?)
その頃、横溝正史の映画がシリーズ化されたりして、
ちょっとした横溝ブームだったので、母は、その話をしていたなと。
そう言えば、白木みのるの母親にも、教えていたなって思い出したら、
急に、母のことが、思い出されてきました。
と、同時に、ここしばらく、母のことなど、
遠くの彼方の記憶になっていたのだと気づき。
有名人に教えていたことが、決して凄いのではなく、
母の凄いのは、どんなことでも、コツコツと、一生懸命に真面目に働く人だったこと。
これは、その時代の母であれば、誰でもそうだったように。
とにかく、学校の先生をしながら、お花とお茶の資格をとって、
家で、また、カルチャーなどで、教えていました。
私が小学校へ上がる1年前ぐらいに、父は死んでしまっていたしね。
私と兄と、そして、母の実母を養っていかなきゃいかんかったのね。
(父は養子だったのよ)
42歳で、私を産んだから、特に大変だったでしょうね。
でも、兄や私がいたから、頑張ることが出来たのでしょう。
そう思えば、私のお陰??
いや、それなのに、それなのに、
ほんと、親不孝娘で、どうしようもなかった。
母や、兄の生き方とか、考え方が、いやだったのね。
反発、反抗で、、、、、。
家がいやで。
だからね、あまり家にいなかったりして、みなが経験したような
テレビのドラマとか、歌番組とか、ほんと知らないのよ。
テレビも、あまり見せてくれなかったしさ。
今も、母や兄とは、ぜんぜん性格も生き方も違うなって思うけど、
それでも、どこかで共通しているのかなあ。
母に美的センスがあるとは、あまり思えないけど、
ごめん、お母ちゃん。
そうだ、小学校の時ね、私、工作とか絵とかいつも一番で、
賞もたくさん取ったことがあるのだけど、
小学3年の時だったか、工作の時間、糸ノコで、魚をいくつも作って、
板のようなボードにはりつける授業があったの。
母と相談して、大小の魚を、うまくデザイン的にボードに置いたのよ。
そしたら、美術の先生が、「この並べ方は、おかしい」と、
遠近つけて魚を並べ替えたのよ。
そのまま、先生の言う通り、提出したけど、その後、やっぱり。母と私の並べ方の方が
おもしろいと思った。
なんだか、その作品は、いやで、直ぐに捨ててしまった記憶があるなあ。
そんなセンスは、母も私も、似ていたのかな?
うちには、仏壇もないし(オークションで買った鎌倉時代の観音様はあるよ)
墓参りも、何年もしていない。
親不孝って言われるけど、私ね、仏壇や墓の中に私の母はいないと思うのよ。
どこにいるかっていうと、私の心の中にいると思う。
だから、しばらく母のことなど、忘れていたので、
とても、悪いような気がした。
ここにこうやって、母のことを書いていると、
母が、これを読んでいるように思う。
今も、出来の悪い娘でごめんくさいよ。
たま〜〜に、母のことを、考えて、ここに書いてみますから。
結局、「八墓村」を、ケーブルテレビで見たことは、良かったんだねえ。
「母さん、ボクの帽子は、、、、どこへ、、、」
これは、角川映画でした。





