2007年01月17日 |
ライフ |
1月17日
あの日、自分が何をしていたか、
あの日、どんな思いだったか、
忘れられない日がきました。
生きていれば、いくつになったかと、
数えてしまう残された家族。
今も、雑草が茂っている取り残されたような更地。
すっかり、このあたりも、風景が変わってしまいました。
本当にたくさんの方が亡くなられたのだと、
その数を聞く度、思います。
あの時は、ブレファの番組でした。
スペインで震災のニュースを知りました。
日本に帰ってきても、家には帰れず、
たどりついた神戸の街は、ぐちゃぐちゃになっていました。
お隣に住むお姉さんが、亡くなられ、
友人のお子さんが、死んでいました。
もう、いやっていうほど、そんな話を聞いて、
いやっていうほど、泣きました。
なんで、神戸やのん?って、恨んだりもしました。
でも、生きられたことを、もっと、もっと、
感謝しないといけないんだと。
神戸の街、私の街です。
さあ、仕事も精出して。
明日が、待っている。






コメント
私は大阪にいましたが、かなり揺れました。今までとは違う、ただ事ではない規模の地震だと感じ、地球が崩壊するのでは!?と思ってしまった位です。
街が燃えている様子や、住む家、家族、知人、友人をなくしてしまった人たちの生の声を中継でテレビで見てました。
当時の事が、昨日の事のように、鮮明に思い出されますが、12年も前になるんですね。干支が一回り…。
神戸方面のかたは、さぞかしその恐怖は大きかったのでしょうね。
もう生涯忘れる事はないし、忘れてはいけない出来事だと思います。
投稿者: MIGGY | 2007年01月18日 21:36
あれから12年ですね・・・
当時0歳だった娘も今年の3月に小学校卒業です
あの日1/17は娘の3ヶ月検診の日でしたが交通機関が麻痺していたのでパスしたことを思い出します
あの頃もブレファ聞いてました・・・
ボランティアのことやいろんな情報が流れていましたね・・・
私も大阪府摂津市に住んでたので
掛け時計が落ちてガラスがわれてこわれたくらいで大きな被害はなかったのですが思い出すとこわいです
余震が来るたびに娘を抱きしめていたのを思い出します
毎日いろんなことで悩んだり考えたり苦しんだり怒ったりしていますがそんな日常を送れることがどれほど幸せなことかを肝に銘じて日々を過ごしていかねばなりませんね
投稿者: 光ちゃん大好きKyon2 | 2007年01月18日 21:58
あの日納品のため目覚ましをかけていた私は、それが鳴る少し前に起きていました。
そろそろ用意をしないと、と思った時に「ドン!」と突き上げが、
直後グラグラ、、、と、、。
大阪と神戸では比較に成らないでしょうが、生まれて初めての体験でした。
その後、車で豊中まで行ったのですが高速は閉鎖、下道はすいていたものの、
今度は帰りみちが大停滞。
しかも淀川を南に向かう橋が軒並み閉鎖!
唯一渡れたのが長柄橋でしたがこれを渡るのに何時間かかったことか。
結局家に帰るまでに9時間かかりました。
その間ラジオで刻々と伝えられる被害状況に想像以上の事態が今起こっているんだなと思いました。
投稿者: プロペラ | 2007年01月19日 00:48
親戚、知人のいない大阪に嫁いで、仕事中心で過ごしていた私には、仕事でのつながりはあっても、友達と呼べる人が誰もいなかった、あの頃。
その前の年の春に、初めてブレファにファックスを送ってテイ子さんに読んでもらったことがきっかけで、番組に、なによりテイ子さんにはまりました。
地震の中心が神戸と知った時、真っ先に浮かんだのがテイ子さんでした。大丈夫なん???と、やっと流せたファックス。
「テイ子さんは国外にいるから、大丈夫だから、他の通信を優先しなければいけないから、番組に連絡をとらないで」、というようなコメントがラジオから流れた瞬間、自分の行動が恥ずかしくなりました。と、同時に、どれだけの人が大変な思いをしているのか・・・天災の怖さを感じました。
ニュースで慰霊祭等のことがトップで流れなくなっても、阪神淡路大震災は忘れることはないと思います。
投稿者: たろう | 2007年01月19日 09:07
テイコさん&若宮組のみなさまこんにちわ。
テイコさん…最近、ラジオ聴けてない…
ごめんね…
メールも送れてないし…
もう忙しすぎて、ムカデの手足借りたいくらいやわ…
(ムカデなんか、手足ありすぎやがなヽ(´~`;)
今、やってる自分のブログは、毎日更新してるから、時間があれば覗きにきてや(*^^*)
で、
あれから、12年の月日が流れたね
この日が来たら、ツライ記憶が甦ると言うのは、なんでなんやろね
地震・台風・ハリケーン・事故・戦争・テロ・事件…
もしかしたら、犠牲になられた人が、問い掛けてるかもしれないね
“頑張って生きてるかぁ?”
“ずっと見守ってるから安心してやぁ!”
“現実に目を背けないで”
など、生きてる大切さを教えてくれてるかも知れない
普段は、心がパンクしないように忘れていることやけど、その日が来たら、色々見つめ直せれる時やから、自分を改めるきっかけかもしれない…
オラはそんなこと、考えたよ…
投稿者: 泉州韋駄天丸・うんちゃん | 2007年01月19日 12:13
吹田も大阪の中では比較的ゆれが大きかったと思います。
わたしも、『この世の終わりか?』と、1歳の娘をかき抱きました。
すぐに電気がつかなくなっていて、
のんきにも寝てしまい、今度目が覚めてテレビをつけたら、生田神社がやねだけになっていました。。。。
ダンナの母方の親戚が神戸付近に集中していたので、死者や大怪我の人はいなかったけど、その後の我が家の生活も数年にわたって、大きく変化しました。
一日一日大切に生きることを再確認するべくその日がやってくるのかもしれませんね。。。
投稿者: ターミネコ | 2007年01月21日 13:50